たとえ偽りに終わったとしても

趣味のこと書いてます。詩の投稿掲示板サイト代表のブログでしたが。

黄金狂時代、つまり昭和プロレス

1976年。ウィリアム・ルスカが両手を大きく広げ、猪木と対峙し、その4ヶ月後、日本武道館のリングでは猪木対アリ、所謂、世紀の対戦が行われた。私は小学校2年生だった。この年1976年から前田日明が新日から解雇通達された1988年までのプロレスを何らかの形で残しておきたかった。
話が逸れるけれども、1945年の終戦時に二十歳だった人—戦地において理不尽な命令のままに人殺しを経験された元日本軍兵士の人―がいたとして、1976年とは、その人が50歳を越えた頃となる。人殺しの経験がある人々が観戦するプロレスはどういったものだったのだろうかと時々考える。力道山シャープ兄弟をリング場でやっつけるその様が戦後の日本人に勇気を与えたという話。そんなわけがないだろうと思う。当事者ではないから何とも言えないが。
幼少の頃からプロレスごっこに明け暮れ、高校生の段階で「プロレス者」という玄人を自負していた私からすれば、昭和プロレスの本質とは、センチメンタリズムである。過激なセンチメンタリズムという古舘伊知郎のそれは、正鵠を射ている。幼少の頃の私はプロレスの試合を観ながらよく泣いた。

止むに止まないプロレスへの愛着を語りとして昨年残しておいたものをまとめてアップした。これは私の中のプロレスであってフィクションである。現実にあった時系列とは合致しない箇所があることをお断りしておく。

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