たとえ偽りに終わったとしても

趣味のこと書いてます。詩の投稿掲示板サイト代表のブログでしたが。

自分の人生を書きたい

このブログは私のtwitter上のつぶやきの延長だと思っていただけると助かる。というのも、詩界隈や周囲の方々への配慮を忘れて書いてしまうことが生来、私にはあるので。白島さんから発せられた失望について、私なりに思ったことを手短に書き残したいと思う。白島さんが選評について指摘されたこと云々より、私はとてもハッとさせられたことがある。というのも、昨夜、三浦個人として発表した11月の選評。「詩の内容について」は一切触れていないけれども、選評作品を選ぶなかで、一つ、念頭にあった「基準」。それは、「今の現代詩のトレンド的に美しいセンスとされるもの」を選ぶ気持ちがあった。そうでなければ、公表に耐えうる作品群にはならないだろうと。しかしながら、推薦作品と優良作品と、そして大賞を選ぶ際に、私は思考が止まった。我に返るというやつ。
「三浦さんには、三浦さんの人生を書いて欲しい」この言葉を思い出した。
これは、私がこの一年間で唯一、鳥肌が立つ感動を覚えた詩人からもらったアドバイスである。その人の作品は人生、生き様、が書かれていて、美しくはないと思う。美しいセンスなんて言葉が示すところの作品では絶対に違う。推薦作品と優良作品は、自分が目指す詩で選びたいと思った。
私が選んだ推薦作品の2作品は、人生が書かれていると思う。
話を白島さんについて戻したい。
白島さんのツィートに私は白島さん御自身の人生を感じた。ツィート内容に人生に触れる言葉などないけれども、白島さんが今回、ツィートされた行動自体に感動した。本気で教えてやると白島さんは伝えたかったのだ。
詩とは知的なものであって、メッセージなどはない、という言葉も知っている。でも、僕は人生を書きたいと思う。教科書で読んだレベルだけれども、石川啄木宮沢賢治のように美しい詩であっても人生が乗り移ってるような自分でしか書けない詩を書きたいし、そんな詩を読みたいと思う。
そう思うとなぜだか、白島さんの「死水晶」を無性に読みたくなってきた。今、出張先のホテルで手元に無いのだけれども。