たとえ偽りに終わったとしても

趣味のこと書いてます。詩の投稿掲示板サイト代表のブログでしたが。

くたばれビーレビュー

文字として書かれた言語は純度が高いと少女は云った。文字として書かれた言語は誤解を生みやすいとビジネスパーソンが云った。「文字言語を選び、闘ってきた詩にとって朗読は自殺行為だ」と詩人が教えてくれた。詩は説明書きではない。詩は物語でもない。詩を人々は共有するものではない。詩は断絶を表すことが出来る唯一の表現方法である。なぜならば、言葉として言い表すことが出来ないことを詩情というのだから。「現実を言葉で組み立てることは出来ないからいつも残念な気持ちになる」と詩人が教えてくれた。詩人は矛盾と闘っている。詩人の闘いは他人との共闘では無い。他人と解り合える詩など断じて無い。私とあなたは断絶であると教えてくれる詩があるだけだ。なのになぜ、見知らぬ者同士が詩を投稿し合うネット詩掲示板に私は居るのか。そこに現実以上の矛盾と原初の言葉があるからだ。矛盾の場所に誤解が生じる。表層のコミュニティーは嫌われ者たちを排除する。排除された者たちは勧善懲悪の欺瞞を告発し、その越境者たちは言葉に肉体を与える。それはとても淋しいことだけれど、越境者だけが持つ覚醒に私は鳥肌を立てていたい。共感はいらない。朗読会もいらない。リーディング大会も。パーティでもなく、セラピーでもなく、文字言語で闘ってきた詩だというのなら、孤独で残酷で、握りこぶしで黙って舞台を去るような、そんな不器用な人々が集う場所があればいいと思う。そうでなければ、合理的な人々が詩を死滅させるだろう。