たとえ偽りに終わったとしても

趣味のこと書いてます。詩の投稿掲示板サイト代表のブログでしたが。

ゼロ位置と誤差について

書きたいと当初思っていた作品にはならなかったので、別の、過去不完全に終わっていた作品と合体させたものに作り変え、ビーレビに久しぶりに投稿した。

代替えのきかない己にしか書けない詩文。僕がそれを書くことに成功したのは「赤い川」だけ。事実を書くのとは違う。事実を書いた作品は「赤い川」の他にある。今回投稿した作品だってノンフィクションと云えばノンフィクションだ。

オリジナルについてよく考える。所属している仕事のカテゴリー柄、「オリジン・原点」という言葉をメカニカル上の意味において頻繁に使う。原点が失われるとメカは誤差があるままに動いてしまい想定していた結果から大きく外れる。0位置がちゃんと取れている作品を書きたい。

他人の作品を読む。良いと思えない作品に出くわしたら、何も言わずに立ち去ればいいのに、私は辛辣なことをコメント欄に書く。辛辣さが向かう方向は作者だろう。私は他者との関係を壊したいのかもしれない。誤差のままに生きている私から傑作が生まれるわけがない。傑作を書きたいのであれば、傑作が書けない自分と世界の関係を壊す他に詩書きを根源的に向上させる方法を知らない。他人が書く作品が劣悪であるはずがない。劣悪なのは自分が観る世界であり、辛辣な言葉で表さなければ、自分の醜い世界を観みて自己嫌悪の底に打ちのめされて沈むことは永久に訪れない。他者とは、どこまでいっても私の中にいる他者だ。私が創り出している他者であり、私がいる世界とは私のなかにいる他者との関係であり私には誤差がそこにある。時々そう考えながら詩文を書いたり他人の作品を読み、コメントを書いたりしている。