たとえ偽りに終わったとしても

趣味のこと書いてます。詩の投稿掲示板サイト代表のブログでしたが。

自ら詩を選ぶことを放棄した詩人たち

くたばれビーレビュー、本当にくたばってしまったのか。

2019年2月投稿作品分のフル選評を私も含めて誰もやらなかった。
選ぶに相応しい作品が投稿されなかったのか。そんなことはない。
一つだけ作品を挙げると、久しぶりに投稿されたひいらぎ氏の作品などは準大賞以上になってもおかしくないだろう。他にもいくつかある。
なぜ選評を書かなかったのか。私個人の理由を明かせば、最近は掲示板に投稿されている作品を読むことすらしていなかった。
正確にいえば時々いくつかの作品は読んでいた。ひいらぎ氏の作品などは久しぶりの投稿ということもあり投稿後に直ぐに読んだ。
ただ、2月の全投稿作品を読む気力が起きなかった。100作の他人の詩を読む行為は「計画的に」もたなければ読めるものではない。少なくとも私にとっては。
自己批判的に語らせてもらうと、その「計画的」に読む詩ってなんだよ、ということではないか。苦行か?ということだ。仕事だ業務だというなら、最低だと思うが。
ただ、形而上の空虚な話を並べても仕方がないとも思う。実情としてのシステムに無理があったのだ。それは誰が悪いわけでもない。悪いどころか、無理、不可能なことを、理想を追っかける気持ちだけでやってこれたことが誇らしい。
2017年2月にスタートしたBreview杯。一旦事実上の終焉。
世間一般からすれば大したことではないだろうけれど、びーれびの歴史上、重大な事で。下手糞な文章をまた書くのが少し億劫だったけど、書きたくなった。

設立者天才詩人さん、発起人のみんな、設立から参加されてきた諸氏、私たちはやり遂げた。それで出来上がったものに満足して放棄した。

これから、新しい冒険のスタートです。