たとえ偽りに終わったとしても

趣味のこと書いてます。詩の投稿掲示板サイト代表のブログでしたが。

渋谷陽一×宮崎駿監督のインタビュー本を読んでマインドが変わった

渋谷陽一という人を今の若者諸氏は御存知だろうか。カルチャー総体としての捉え方、観点といったところの影響を私は強烈に持っていて、近年、ネットにおけるメディア(そんな大袈裟なことではないし、私が主体者なわけでもないが)に関わるなかで、無意識にも、、いやもしかしたら渋谷陽一をかなり意識してやってきたのかもしれないと気が付いた。ネット詩掲示板の投稿者へインタビューをするという手法、渋谷陽一の影響というか追体験をしてみたかったというのが裏目的だったと言い切る方が三浦らしいだろう。急に渋谷陽一をなぜ持ち出しているのか。理由は記事のタイトル通り、マインドチェンジ、確変が先ほど起きたからなのです。
ここ一週間ほどtwitterツイキャス放送をやり過ぎてしまったという感が強い。特定の誰かにメッセージやら、ショックやらを送りつけてやるつもりはないのだけれども、呟いた後に、何というか吐気を催すようになった。生霊を感じて仕方がない。これはいかん、少し離れようかと積み上がった未読書籍を手に取ったのである。

『続・風の帰る場所』映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか

これを読み始めるに、宮崎駿監督が発する言葉、哲学性とそのメタファーな内容に驚いた。渋谷陽一氏による「CUT」誌インタビュー記事は本著に収録されたものを発売当初に既に読んでいた。当時はあまりピンとくることがなかった。ところが、である。50歳を越えた今読むと身に沁み込んできてしかたがないのだ。ビーレビからも離れ、詩からも離れ(これを言うとまた軽率だと批判を浴びるだろうが、私は詩が無くても困らない距離感で詩を捉えています)、老いてゆく過程、仕事以外になにをやってけば楽しいものだろうかと迷走し、情緒不安定さを露わにしていたこの数か月間だった。本著で宮崎駿監督が明かすところのことは直に読んでもらえればと思うのだけれども、一つだけ紹介すると、、いや止めておこう。

で、言及したいのは渋谷陽一のインタビュアーとしての姿勢、スタイルについてなんです。先日、私のツイキャス放送に出ていただいたとあるゲストの方から「(三浦さんのインタビューは)誘導が露骨で、エンタメとしては面白いかもしれないが、楽しい会話だったかどうかといわれると・・・」という趣旨のコメントをいただいた。これは的を得ている。いや、皆さん御察しの通り、私は断定をするし決めつけた物言いと答えを予め想定し質問を為している。渋谷陽一さん的に云えば「思い込みが激しいインタビュー」であり、それについての批判や不快感、ハレーション(他人への悪影響)が起きることは覚悟の上、だったりする。つまり渋谷陽一さんがルーツにあるということです。

私の拙いインタビュー放送を渋谷陽一さんのなぞりだと自己正当化するのは気が引けるが、渋谷陽一さんのインタビュー本や、過去のラジオ放送などにぜひとも一度は触れてみるといいと思う。宮崎駿監督は露骨に怒りを表している。でも、他の「いいねいいね共感!」な対談では目にすることのない「本音」がそこにあるよ。

インタビューコンテンツ以外にも、ビーレビをラジカルな方向へ寄せていこうとする手法や、あざとく議論的な展開をあらゆる場所で期待するところも全てが渋谷陽一的であったと思う。ただ、誤解無きよう断っておきたいのは、渋谷陽一氏はビジネスとして成功された方、有名人であり、新しいメディアを設立した成功者であって、私はそれをなぞってゆく気持ちなどさらさら無い(当たり前だよな笑)。私の本業はサラリーマンであって、ネットやラジオなどは趣味の域から出ることは今後もない。ただ、ただし、であるが、宮崎駿監督が60歳を過ぎた時点で発している内容には今回の読書でかなり衝撃を受けた。そうそう、話題を最後に少し変えよう。
詩が無くても困らないと私は先ほど述べているが、何か書き物をしたり絵を描いたり音楽を奏でたり歌ったり作ったりすることを日常的にやってないと落ち着かない人間では今はもうない。今は、である。元々デザイン系の学校を出ていることはこちらのブログでも明かしているけれども、バンドをやったり絵を描いたり熱中していた若い時期はあった。もっと言えば転職14回の履歴の理由として少なからず「クリエティブな職に就きたい」というのもあった。クリエイティブな業界の仕事をかすめた時期もあった。で、今の職場が10年になるのだけれど、今の仕事は営業職でありながら、じつは「クリエィティブな仕事」なので満足していたりする。仕事内容を説明するのが難しい。営業職は営業職なのだけれども、自ら全てを作れる仕事内容だったりするということ。客との接点から商談、それに伴うプレゼン内容・資料、はたまた社内協議・調整、それら全部が自己表現、創作物であると言い切れるのです。その満足度はおそらく、芸術のそれ、つまり美的経験だったりする。不満があるとすれば、相対的な価値が生まれていないこと、自己満足でしかないということなのかもしれない。無論仕事上での他人様、御客様は価値を認めてくれている。それが芸術的な価値ではないのだようなあという感がある。では、具体的な目標を発見したのか。ちょっとだけ発見しました。まだ言えませんが。
読んでいただき有難う御座います。