たとえ偽りに終わったとしても

趣味のこと書いてます。詩の投稿掲示板サイト代表のブログでしたが。

私の仕事

言葉の次にはこの言葉があり

という作業が不得手であれ

私のプレゼンは

実績を残せるものとして評価されている

プレゼンとはイメージだ

合理に沿って誘引されるのはお客であって

プレゼンの対象事物をイメージ化し

良質さの確信を持っているのは私である

確信を合理で説明しようとするプレゼンは失敗する

確信の合理化はできない

確信はイメージから派生する錯覚とも言え

無意識にせよ騙しゆく作業

良質なる価値は共同作業によるお客と私の幻想

事実上の良質さは実地により立証される

しかしお客は良質さの事実よりも

共同作業で作られたイメージを選ぶ

それは一見、愚かさが招く

歪んだ結果ではある

けれども、

日本人は信頼を尊重し

言葉の整然さよりも情を取る

酷い結果であれ

1人が得をするより

集団の幸を優先する

近代化の前に自由という言語も権利という言語もない

西欧の型に入る以前にイメージの言葉があった

共有するでもない共通の言語でもない

私だけの新しさ

オリジナルの朝

ひとりであれど

誰かと繋がっている錯覚

あるいは繋がっているのだという確信

嗚咽する崇高な情緒、人間

プレゼンの才能とは

妄想癖、虚言癖と言われるだろう

それは認めようと思う

実績だけが信用されればよいのだ

言葉は私のもとには残らず

あなたが認知する事実の上書きをする

私には声がある

声帯の振動ではなく

生きて堆積物となった身体の音

言葉の整然な響きと

イメージのプレゼンが

世界と調和する