覚書2018.03.13
3月の三浦個人選評は優良、推薦計70作品をあえて選びたいと思う。仮に全数が120作だとした場合に、50作が選評から外れる。私が何をやりたいのか、それは自分の基準を明確にすること。詩を読む自分の感性を知ること。どれだけ選評をやってみても自分の基準を明確に示した気持ちになれない。
— 三浦⌘∂admin∂⌘果実 (@breviewwired) 2018年3月13日
どのような作品を良とし、どのような作品は劣なのか、自分の中でこれを明確にしたい。私の選評は公式ではないが、もし公式キュレーターがこれをやったら批判が殺到するかもしれない。もちろん選評は書けない。70作の作品名を上げるだけ。
— 三浦⌘∂admin∂⌘果実 (@breviewwired) 2018年3月13日
ネット詩では詩が消耗品のように陳列されてはすぐに消えてゆく。だから詩はネットには不向きなのかもしれない。で、あればネット詩掲示板は害悪だ。その害悪さは表面的なサイト機能により取り除けるものでなく本質的に含有するものであるのか、その検証でもある選評。
— 三浦⌘∂admin∂⌘果実 (@breviewwired) 2018年3月13日
ただし、詩は人と人の繋げる役割だというある種のまやかしを暴けるのは掲示板しかないと私は確信している。詩は断絶を現すことが唯一可能な表現方法である。
— 三浦⌘∂admin∂⌘果実 (@breviewwired) 2018年3月13日