たとえ偽りに終わったとしても

趣味のこと書いてます。詩の投稿掲示板サイト代表のブログでしたが。

社交辞令より「良さがわかるよ」の一言を求める

2017年に観た映画でお勧めの映画を教えろと言われれば、沈黙~サイレンス~か、ハクソ―リッジを挙げるだろう。個人的にはプロレスラー天龍源一郎の引退ドキュメントが一番感動したけれども、他人に勧める作品ではないだろう。同じく、詩作品についても私は同じである。投稿作品の中からおまえが勧める詩作品を言ってみよとあれば、映画と同じルールで選ぶだろう。個人的に感動した作品と勧める作品は少しだけ違う。(但し、私が選ぶ「大賞」は個人的にも、オススメ的にもイコールです。それが普遍性というものでしょう。普遍を定義付けするのも個人の感覚の域を出ませんが)。人へ勧める作品を選ぶのに、もう一つ自分のなかでルール・掟がある。それは「おバカな視点は捨てない」ということ。
投稿作品を選評する姿勢としてよく聴く話。「真面目にちゃんと読んでいるか?」という問い。この問いの本質は「読解・批評を自説出来る程度以上には読めよ」ということなんだろうが、「詩はエンターテインメントか?芸術・学術か?」というトピックにも関わる話。無礼な物言いはダメなんだろうけれども、「これはつまらない」「これは良い」という一言が私は好きである。価値があるとか、意味があるとは言わない。一言で判断することを私は好きです。
他方、「作品から何も読み取られていないイージーな点数付け」がいかがなものかというリーディング界隈における物言いにも関わる話。客・読者は、万能な神では無い。少なくとも私はお馬鹿な読者だ。
もう少し平たく云わせてください。
「この詩、読んでみてよ、良さわかるでしょう?」と詩に興味のない中学~大学生に一読させて「うん。わかる。これは良いね」という返事をもらうことが可能な作品を選びたいと思っている。「可読性」とはニュアンスが少し違う。読めなくても、先のような返事を貰うことが可能な作品ってありますよ。
12月の投稿作品。今回は選評の経緯や理由は述べない。なぜならば、個人的に好ましい作品はたくさんあったけれども、私が他人に読んで欲しいと願い「うん。わかる。これは良いね」と返事がもらえるであろう作品は一作品だけだったから。

「12月投稿作品」三浦個人選評

大賞作品 該当無し
優良作品 該当無し
推薦作品 『literal』  完備

誰も期待していないと思う三浦個人の選評だから気軽に発表しているところはあるかもしれない。しかし、個人的な気持ちをいえば、B-REVIEWの毎月の公式選評へ、既存の詩誌やネット詩では有り得ない選評結果を期待している。なぜならば、B-REVIEWの存在理由はそこにしかないと思うから。既存の詩誌やネット詩で順当に出されるであろう予定調和な選評を求めるのであれば、B-REVIEWは永久に用を足さない場所であって欲しい。